東京駅地下街に置かれている「ヤン・ヨースデン」に会いに行ってきた。「八重洲」の地名の由来となった方で、なかなか個性的な像。この話題8年前に取り上げたが、直接観に行ったのは初めて(2022/08/13)
八重洲の由来となったオランダ人 ヤン・ヨースデンについて
・国籍 オランダ
・生まれた年 不詳
・没年 1623年
・日本名 耶楊子(やようす)
1600年に豊後(大分県)に漂着したオランダ船の船員
日本人と結婚、東南アジアを中心に貿易をする。
徳川幕府に対し、外交貿易について進言する役目に就任
オランダへの帰国交渉にジャカルタに渡り、交渉が不調に終わって日本へ戻る際、船が難破して命を落とした(1623年)
八重洲の由来
徳川家康の通訳として重宝されて現在の日比谷のあたりに屋敷を与えられた。このあたりを八代洲(やよす)河岸と呼んだ。
八代洲はのちに「八重洲」と書かれ、町名となったのは1872年
東京駅開業(1914年)の後、八重洲町の大半が東京駅となった。
参考:地名の由来(中央区)
・八重洲・・・慶長年間にオランダ人通訳のヤン・ヨースデンが内堀沿いに邸地を拝領したことから、その一帯を「やよす河岸」と称し、後に八重洲町になった。昭和29年から八重洲に
・京橋・・・東海道の起点である日本橋から京へ上る最初の橋だったことから京橋の名前が生まれ、それが町名になった
・銀座・・・銀座は銀貨鋳造所のこと。慶長のころ、銀座を静岡の駿府から現在の銀座2丁目あたりにうつしたことから俗称で銀座と呼ぶようになった
・築地・・・明暦の大火の後に埋め立てられたところで、文字通り海岸に築いた土地という意味だそうです
・月島・・・東京湾内に月の岬という観月の名所があったことにちなんだ地名。
・勝どき・・・勝鬨橋にちなんだ町名。橋は日露戦争の旅順陥落の際に建設した「勝鬨の碑」とその河岸に開いた渡しを「勝鬨の渡し」と命名したために名付けられたらしい
・晴海・・・区議会(当時の京橋区議会)で、「いつも晴れた海を望む」という希望から決定された(どらったら!アーカイブより)
感想・まとめ
個性的な像だったなあ。
つやつやのピッカピカでした。