どらったら!!

東京都中央区、江東区の臨海部を中心としたメモ。独自の情報を除いては、報道ベースではなく、発表主体の情報をベースに書くことを基本にしています。最近はゲリラ的な花火大会情報も提供。

#489 中央区築地の吉野家全店舗が営業終了 創業の地の石碑を見てきた 2020年5月23日

牛丼の吉野家の創業店「築地一号店」があった中央区築地で、2020年5月23日午後、「築地東店」が42年間の営業を終了し、築地エリアから吉野家が消えた。閉店直前に店を訪問し、その後に波除神社に足を運んだ(2020/05/23)

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(中の人撮影)

築地東店(中央区築地6−10−8)

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(公式HP)=中の人加筆

営業最終日の様子

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(中の人撮影)=2020年5月23日午後

 表に行列ができるようなことはなく、店内も若干の空席があった。

店長からの最後のメッセージ

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(中の人撮影)

 

店の入り口2箇所に店長からの最後のメッセージが掲示されていた。

お客様各位

吉野家築地東店は

2020年5月23日(土)15時をもちまして閉店させていただくこととなりました。

42年間ありがとうございました。

吉野家創業の地であるこの築地にて、多くのお客様にご愛顧賜りましたこと深く感謝申し上げるとともに、引き続き吉野家をご利用いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。

店長

「並盛」をいただく

 「並盛」を注文、387円。

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(中の人完食)

店内で食事をしていたのは、近所の人や市場関係の人という印象。

客「きょう終わっちゃうんだね」

店員「そうなんですよー」

みたいな会話が聞こえてきた。

 

瓶ビールを頼んでいる人が結構多かったな。

波除神社の碑

店を後にしたあと吉野家の碑がある築地・波除神社を訪問した。

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(中の人撮影)

 

吉野家の石碑。内容を見ると旧築地市場内店舗の豊洲市場移転にあたって設置されたようだ。

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(中の人撮影)

説明書きを拡大したもの。

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(中の人撮影)

こんなふうに刻まれていた。

ここ築地の地に、

牛丼の吉野家の創業店がありました

吉野家の歴史は、かつて栄えていた日本橋の魚河岸で

明治三二年に開業したのが始まりです。

屋号は、創業者・松田栄吉の出身地である

大阪・吉野家より名づけられたと伝えられています。

その後、関東大震災の影響により、

大正一五年、魚河岸とともにこの地に移転いたしました。

東京大空襲によって店舗は焼失しましたが、

終戦後、すぐに屋台で営業を再開。

そして昭和三四年、「築地一号店」を開店したのです。

当初、具材には季節の旬な食材と豆腐なども

盛り込まれていましたが、

市場で働く人たちが牛丼を注文するのは、

牛肉が食べたいからなのです。

二代目社長、松田瑞穂は、

そんな想いに応えてメニューを改良。

より多くの牛肉と、味わいを深めるための玉ねぎだけを使った、

シンプルな牛丼を生み出しました。

この牛丼は市場で大いに愛され、

またたく間に各地へとひろがり、

日本人のお腹を満たす国民食となっていったのです。

平成二八年、再び市場の移転にともない

「築地一号店」も移転することになりました。

この地で永きにわたり多くの方々に、

ご愛顧いただいてまいりました

「はやい、うまい、やすい」

吉野家の牛丼は、

まさにこの土地で育まれた味なのです

感想・まとめ

創業店「築地一号店」のあった場所でもあるし、

築地市場跡地再開発の折には、きっと戻ってくるのだろう。

それまで、しばらくのお別れということになる。

参考