どらったら!!

東京都中央区、江東区の臨海部を中心としたメモ。独自の情報を除いては、報道ベースではなく、発表主体の情報をベースに書くことを基本にしています。最近はゲリラ的な花火大会情報も提供。

#1489 第二海堡に上陸してきた 東京湾に浮かぶ旧軍事施設

千葉県富津岬沖の東京湾に100年以上前に作られ、長い間関係者以外立ち入りが禁止されていた海上要塞「第二海堡」(かいほう)に先日、上陸してきた(2022/12/19)

中の人撮影

第二海堡(かいほう)の概要

第二海堡のツアールート
首都東京を防衛するため東京湾内に3カ所作られた海上要塞の1つで、砲台を設置するために作られた人工の島。千葉県の富津岬沖にある。
黒船来襲時に大砲の射程が約3キロしかなく、東京湾の幅が7キロあって沿岸から砲撃で防御できないということで、東京湾防衛のために25年かけて作られたというのがこの施設。
砲の性能の向上などに伴い意義を失っていったが、海上に大きな人工の島を作るというのは世界最初の試みだったそうで、土木技術の発展に大きな貢献をしたそうだ。
島の作り方は、船で大きな岩を運んで、どぼどぼと海中に落とし、海面から岩が顔を出すまで続けて土台を構築するという方法だったらしい。
1889年 着工
1914年 完成
1945年 米軍により接収
1955年 日本に返還
2005年 侵食が進み立入禁止に
2007年 改修工事着手
2019年 インフラツーリズム本格スタート

上陸

中の人撮影

第二海堡の北側に船着場があって、ここに着岸。北寄りの風が吹くと厳しいようだ。

12・7センチ連装高角砲台跡

中の人撮影

船着場から坂道を登っていくと、第二海堡灯台を動かすための太陽電池パネル群の中に出る。ここに12・7センチ連装高角砲の砲台跡があった。高さ8000mまで届くと話していたような。B29のような1万メートルを飛行する航空機には厳しかっただろう。

防空指揮所

防空指揮所=中の人撮影

 

第二海堡で最も高い場所に位置する部分に防空指揮所として使われていた建造物の跡が残されている。27センチカノン砲が設置されていたらしい。

カノン砲加農砲)というのはまっすぐ標的を狙う砲で、これに対し榴弾砲というのは上方に向けて打ち出し、遠くを狙う砲という説明だった。

この写真の左側は撮影NGだった。

第一海堡

第二開放から望む第一海堡=中の人撮影

防空指揮所付近から千葉県富津市側の海域に浮かぶ「第一海堡」を見ることができた。

砲台跡

中の人撮影

27センチカノン砲台列跡。ここの砲台は隠顕砲と呼ばれるタイプ。

隠顕砲=中の人撮影

 

屋根付きの砲塔で、屋根を持ち上げてその下で砲弾を装填し、打つときは屋根を下に下ろして砲身を外部に出して射撃する。外から見つかりにくくする効果があるらしい。
FORT/NO2の文字が浮かんでいるが、これは建造時に書かれたものではないという説明。アルファベットだしね。

観測所・弾薬庫?跡

中の人撮影

中の人撮影

 第二海堡西側の遺構。観測所があったらしい、壁の状態や作りから弾薬庫だったのではという説明があった。

第二海堡灯台

第二海堡灯台=中の人撮影

何度か移設された第二海堡灯台

「初点 明治27年9月 改築 昭和58年3月」の文字。

東京湾は海の難所なのだとか。現在道標として稼働中。 

植物たち

中の人撮影

中の人撮影

離岸

中の人撮影

およそ1時間の滞在で第二海堡を離れた。

感想・まとめ 

第二海堡はぜひ行ってみたいと思っていた場所の一つだった。

立入禁止の島で、ツアーによる許可を得ないと上陸はできないようだ。

一部撮影不可の施設もあった。

定員100人程度の船での移動になるため、波が高いとすぐに中止になる。

ツアー実施率は北風の多い冬季は30〜40%、夏でも60〜70%程度だそうだ。

年間を通すと2回に1回はツアーがキャンセルになるという感じだろうか。

中の人撮影

当日はツアー実施ギリギリの状態で、上陸できたのは幸運だったようだ。

参考

daini-kaiho.jp