30日に実施された東京オリンピック・フェンシング男子エペ団体で日本チーム金メダルを獲得した。こんなに強かったのかと驚いた。フラワーセレモニーのプレゼンターはオリンピック銀メダリストの太田雄貴さん。フェンシングを日本に認知させた偉大な人物。日本フェンシングが金メダルを獲得したのは、男女、個人団体通じて史上初めて。この金メダルで、1大会あたりの金メダル数が17となり、過去最高だった1964年東京大会、2004年アテネ大会の16個を超えた(2021/07/31)。
優勝を決めた直後の山田優選手
きました。ついにきました。
日本のフェンシングはエペの時代です。
もう、本当にめちゃくちゃ嬉しいです(NHK)
一番最初、勢いをつければ絶対に勝てると信じていたので、優勝できて本当に嬉しいです。
ありがとうございます(囲み)
(一夜明けて会見)
僕はスタート切ってしっかり回せたのが役目だと思っていたので、4−4になった時にここの一本が大事だって。5−5で回すのではなく4−5で回すのではなく、ちゃんと5−4で回すことに意味があると思ったので、ちゃんと回せて良かったと思います。僕自身ヘルニア手術をしたんですけど、そこの回復やリハビリやってそういう期間もあったので、今回のためにしっかり準備された1年間だったと思います。
優勝を決めた直後の宇山賢選手
自分の今までのフェンシングの全てをぶつけようと思って挑んだ試合だったので、今振り返っても、もう悔いはないです。(NHK)
(一夜明けて会見)
点数を取れる、取れないは別として、全て全部ここにぶつけるんだという。負けたら次はないという試合なので。全部、出しそびれというか、ないように動き散らしました。一つは相手の動きを待たない。リードをされているので、僕が8番目だったので、9番目の加納選手に、少しでも少ない点差でチャンスを広げてツンがうというところだけ意識していた。
優勝を決めた直後の加納虹輝選手
先輩たちが繋いでくれたリードだったので、必ず守って金メダルを取るという強い気持ちで最後は戦いました。(NHK)
まだちょっと、信じれていないんですけど、これが夢じゃないことを今祈ってます(囲み)。
(一夜明けて会見)
最後やることは決めていて、最後それをやって必ず勝てると思っていたので、そこは自信を持っていきました。やはり相手の懐に飛び込むということ。懐に飛び込むと次は身長が低い僕のようなプレイスタイルの選手の方が有利に働くのでその辺を意識していました。
優勝を決めた直後の見延和靖選手
強い日本を示せたんじゃないかと思います。(NHK)
(一夜明けて会見)
エペはルールが非常に分かりやすいのが魅力で、それだけにフルーレ、サーブルに比べて競技人口が倍ぐらい多い。キングオブフェンシングはエペだと世界で認知されていて、その中で日本人、アジアの中で日本がオリンピックという最高の舞台で金メダルを獲得したということはすごく大きいインパクトを与えたと思います。
感想・まとめ
1回戦のアメリカとの接戦を勝ち切ったことで、前回王者のフランスに全開で臨めたことが勝因らしい。
これで今大会の金メダルは17個。大会はきょうでやっと折り返し。
すでに東京大会は歴史的な大成功の大会になっている。
日本の選手にとっても、世界からきてくれた選手にとっても。
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フェンシング協会の会長って「百獣の王」の人だったんか。
あの人、十種競技の元日本王者だもんなあ。
参考
日本のフェンシング界を支えてくれた
— 太田雄貴 (@yuking1125) 2021年7月30日
人達とこれからを担う人と。
日本のフェンシングの強化をずっと頑張ってくれた先輩たちがいたから今がある。本当に繋がっている。武井会長にも素晴らしいギフトとなりましたね。
皆んなおめでとう。
(写真の時だけマスク外しています) pic.twitter.com/BDNZ3Att3f